今の感情

生放送を見た

知り合いの家で何人かで集まって見た生放送、正直言って前から漂っていた嫌な予感が的中したというか、考えられる最悪のシナリオを突きつけられた形だった。

正直どう受け止めればいいのかわかりかねているのが率直な感想である。生放送以降はSNSもほとんど見ることができず、次の日も仕事できるか怪しいぐらいの感情だったが、逆にラブライブ!サンシャイン!!以外のことに集中してないと辛いなと思って、結局朝から仕事をしている。

まあただ、目論見通り没頭できるかといえばそんなことはなくて、生放送で伊波さんが言葉を選んでいる姿を思い出したり、自分は今後どうなるんだろうというすごく漠然とした不安に襲われているばかりで、結局ほとんど仕事もできないというのが現状である。

自分の今の気持ち

思えば、自分がラブライブ!サンシャイン!!に抱いていたものとは何だったのだろうか。考えれば考えるほど具体的な言葉にできなくなってくるが、とにかく「楽しい」という感情。彼女たちが居なければ、ライブという文化に触れることもなく、福岡や旭川に旅行で行ったりすることもなかっただろうし、いま自分の周りにいる人達にだって会えなかっただろう。それぐらい、今の自分のアイデンティティに深く根付いているコンテンツで、もはや無いということが考えられない。想像できない。

だから、わがままを言えば自分が死ぬまで続いてほしい。続けてもらわないと、「自分」という存在を維持することができないと思うぐらいに、このコンテンツが存在することが、自分にとっての自然な状態なのだ。取り上げられたら、本当に何も無い人間になってしまうのではないか。

ただ、これまでにそういったことを一度も考えなかった訳ではない。ここ最近あったμ'sのイベントに参加して、その姿を未来のAqoursに重ねることはあった。正直、その姿を見て、想像して、これまでと同じぐらい楽めるのかと言われれば、肯定はできない。やはりライブがあって、キャストが飛んで跳ねて、アニメと同じパフォーマンスをする「シンクロパフォーマンス」こそが自分にとってラブライブ!と出会ったときの原体験で、今でも渇望しているものであり、それを与えてくれるのがAqoursというグループなのだ。見れなくなるならラブライブ!である必要がない。

しかし、現実を見ると、彼女たちに今後もこの活動を続けていってもらうためには、彼女たちのいろいろなものを犠牲にさせてしまうのではないかという考えもよぎってしまう。自分がメンバーとほとんど同世代であるがゆえに、年齢という壁を原寸大で感じることがある。ただでさえ難しいパフォーマンスを求められているというのに、そこに年齢という壁を乗り越えるのは、普段の生活にも求められるものが高いだろうし、努力や練習も並大抵のものではないことは容易に察することができる。

結婚とかそういうのも、Aqoursでいる限りは「しづらい」という視線を感じてるだろう。実際、キャストが結婚するとなったとき、そのことを自分は心から祝福できないかもしれないと考えてしまうことがある。でも適齢期とかそういうのを考えると、自分はなんてわがままを女性に押し付けてるんだろうと思い、自分がファンであることが嫌になる瞬間がある。そういったことからしても、活動に一旦の区切りをつけることは、必要なことなのではないか。

沼津のこと

Aqoursの結成日に沼津に越してきて、今年で5年目になる。最近色々な活動も始めたこともあって、改めて思うのは、沼津は本当に奇跡の場所である。コンテンツがやってきて、そこへの乗っかり方が絶妙だった。役所のサポート、コンテンツ側の資金や協力の姿勢、地元の人たちの理解、各所におけるキーパーソンの存在、そこにやってくるファン、これ以外を含むすべてが絶妙なバランスで成り立っていて、今の沼津が存在できている。

自分が沼津に来た理由を人に説明するとき「アニメは沼津を知ったきっかけでしかない」と言う事が多かった。実際、自分の生活観に合ってて住みやすいなあと思いながら暮らしているが、今回の発表で気持ちが揺らいでいないといえば嘘になる。奥底ではアニメの聖地に住んでいるということが、心の支えであったと痛感したし、実家の事情でいつかは帰らないといけないかもということもあって、それがより具体的な未来として思い浮かんでしまう。

うみねこの活動なんかも、「たった今」の話をすればモチベーションがほぼ無いに等しい。1周年イベントを乗り越えて力尽きていたところに今回のことがあったので、本当にメンタル面にまで深く響いている。何をやろうにも「いつかみんな居なくなるんじゃないか」と考えてしまい、じゃあ今やってることって何のためにやってるんだとなってしまう。

唯一の支えとなっているのは、以前から「沼津がラブライブ!に依存するのは良くない」みたいな新聞の社説や、意見があるという話への反骨精神である。おそらくそういった意見の人達にとって、我々が迎えた現実は「それみたことか」と言いたくなるような状態なんだろうが、もはやこれほど歴史と言えるまで根付いたものが、そうすぐ無くなったりするかと言えば、逆に難しいだろう。そもそも今から早々にキリをつけてみすみす手放したとき、残った自分たちだけでこれだけのムーブメントを作れるのか?それとも誰かがやってくると思っているのか?とは思う。逆に「まだ1年ある」のだ。そこでいかに次に繋げていくかではないか。

いろいろ考えて

冒頭に「考えられる最悪のシナリオ」と言ったが、1年という猶予期間があるということを考えれば、突然解散や休止を発表されるよりよほどマシかもしれない。

そう考えると、ヤケになったり、落ち込んでいる暇はあまりなくて、残りを全部本気で取り組むしかないことは確かだが、その道を全力で1年間走りきったとき、自分や周りがどうなっているかは、本当にわからなくて不安だ。

ただ、気になっていること(コンテンツの締めくくり方や、その後の形)からくる不安は、徐々に発表されていくだろうから、時間が解決してくれるだろう。今の自分には、それが少しでもAqoursや周りの人たちにとっていい方向になればいいなと願うことしかできない。

1年後、この記事を見た自分へ

1年経ってどうですか?1年前に抱えていた不安は少しでも解消されましたか?あなた自身が、周りのみんなが、納得のできるような未来が示されているでしょうか。

多分まだ噛み砕けてないことも多いと思うし、もしかしたら1年前の自分とは違う不安を抱えているかもしれませんが、もしよかったら感想を聞かせてください。